
| 紀元前3000年頃 | 神話にお茶が登場する。 | |
| 紀元前2700年 | 陸羽の「茶経」にお茶の効能が登場する。 | |
| 紀元前1世紀 | お茶が飲用となる。 | |
| 3世紀 | お茶が飲料として普及しはじめる。 | |
| 618〜907年 | 飲茶の習慣が一般に広く普及し、上流階級の嗜好品として愛されるようになる。この頃日本にお茶がもたらされる。 | |
| 960〜1279年 | 固形茶を粉末に挽いて、お湯を注いでかきまぜる、「抹茶方」が流行する。 | |
| 1127〜1279年 | 香辛料やバターなどを入れたお茶が普及しはじめ、花を混ぜ合わせた花茶の原型が出てくる。 | |
| 1368〜1644年 | 固形茶ではなく、散茶(現在のような茶葉)が主流となり、お釜炒り製法による緑茶が作られるようになる。また百片のお茶で馬一頭と交換する「茶馬貿易」も盛んになる。 明代の末には、福建省の武夷茶が名茶として上流階級の人気を集める。お茶の淹れ方も、茶壷に茶葉を入れ、お湯を注いで飲む「泡茶法」へと変わっていく。 | |
| 1636〜1912年 | 中国の各都市で茶館や飲茶楼が出来、広東省で現在の飲茶スタイルが確立され、中国のお茶文化が開花する。烏龍茶の原型となる青茶の武夷茶が作られ始め、蓋碗など美味しくお茶を飲むための茶器も登場する。武夷茶はその後、Bohea(ボヘア)としてヨーロッパに広がり、紅茶の原型となった。 | |
| 1610年頃 | オランダ商人によってお茶がヨーロッパに運ばれる。 その後、イギリス東インド会社を通じ、お茶は世界に広がっていく。 | |
| 18世紀 | 福建で烏龍茶、紅茶が生まれる。 |
| 19世紀初頭 | 柯朝氏が福建省武威山からお茶の苗木を持ち帰り、台北郊外で栽培する。 | |
| 1865年 | イギリス人のジョン・ドットが通訳の李春生と商社を作り、台北でお茶の生産を事業化して、台湾茶の輸出を始める。その後、本格的に製茶工場を設立し、アメリカ向けにFormosa Tea(フォルモサティー)として輸出をはじめる。 | |
| 1881年 | 福建省泉州の茶商、呉福源が包種茶の工場を建て、製造方法を伝える。 台湾茶の輸出が本格的に拡大。イギリスを始めとしたヨーロッパ市場へ輸出され、隆盛を極める。 | |
| 1885年 | 林鳳池によって青心烏龍茶の苗木が福建省から台湾南投県鹿谷郷に持ち帰られ、現在の凍頂烏龍茶となる。 | |
| 1895年 | 日清戦争の結果締結された下関条約により、台湾は日本へ割譲される。 日本政府は台北に総督府を置き、それまで清朝により整備されてきた茶産業の基盤を受け継ぎ、製茶機械の導入、茶業伝習所の設立、品質改良など大規模な製茶システムを確立し、台湾茶業の近代化を図る。 台湾茶の品質を向上させたことで、産出量、製造量、輸出量が飛躍的に上昇する。 |